終わったつもりだったのは、自分だけだった

Uncategorized

一話目を書いたあと、
あのとき何が噛み合っていなかったのかを、
自分なりに考える時間がありました。

当時は分からなかったことが、
少しずつ言葉にできるようになってきた気がします。

トイレ掃除の件も、
洗濯の件も、
今思えば、
やり方の問題ではありませんでした。

自分は、トイレを掃除シートで拭きました。
汚れているところを見つけて、
それを取った。
だから「掃除した」と思っていました。

一方で、妻はブラシで掃除をしていました。
見えないところまで含めて、
「次に気にしなくていい状態」にする。

どちらが正しいか、ではありません。
ただ、
「終わった」と思う地点が、まったく違っていました。

洗濯も同じでした。

洗う。
乾かす。
畳む。

自分は、工程が終わったところで
「ここまでやった」と思っていました。

でも妻にとっては、
畳み方も含めて
「そのまましまえて、次に使える状態」
になって初めて終わりでした。

家事は作業だと思っていました。
でも実際には、
次の人に渡す状態まで含めて、ひとつの仕事
だったのだと思います。

このズレがあるまま、
自分は
「忙しいのに、やってるやん」
と言ってしまいました。

今なら、
あの言葉がなぜ地雷だったのかも分かります。

忙しいかどうかは、
家事の評価には関係ありません。
条件付きで差し出された行動は、
どうしても
「やってあげている」
という形になってしまいます。

ただ、
このことに気づいたからといって、
すぐに何かが変わったわけではありませんでした。

分かったつもりになって、
また同じようなことで引っかかったこともあります。

話し合いも、
一度で終わるようなものではありませんでした。

それでも少しずつ、
「どこまでやれば終わりなのか」
「これは誰の担当なのか」
を、
言葉にするようになりました。

我が家では、
ある決め方をしたことで、
家の中の空気が明らかに変わりました。

やる量を増やしたわけでも、
完璧を目指したわけでもありません。

ただ、
ズレが起きにくい形にした
それだけでした。

次は、
そのとき実際に決めたことを、
できるだけ具体的に書いてみようと思います。

コメント

タイトルとURLをコピーしました